当山草創は武光庄浦山の地であったが、その後、関野帯刀邸跡の現在地に移転し、関東郡代伊那氏の弟日誉源底上人を開山として「八臂大弁財天神」を祀り、民衆の信仰を集め、時代を刻むうち、秩父大火災によってご尊像は消えたがその霊徳は滅せず、当山第十八世の夢枕に再度お姿を現わした。不思議に感じ、近郊近在にそのお姿を求めると「開運八腎大弁財天神、弘法大師御作、秩父惣円寺」とある掛け軸を見出した。そして、そのお姿を再現し、広く民衆に福徳のあらたかきを現実に示し、現在に及び、家内安全・商売繁昌天下泰平等の霊験あらたかな守護神である。
七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天(弁才天とも書く)は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されている。 |