第12代景行天皇の皇子の日本武尊が東国平定のおりこの地をおとずれたと云う。尊はこの山の神秘的な雰囲気と美しさに心引かれ、境内の「玉の泉」で身を清めた後、山へと登った。途中で山火事に遭遇したが山犬の群れが現れ火を鎮めてくれた。艱難 辛苦の末ようやく山頂に立った尊は3柱の神々を祀ったのが寶登山神社の礎とされている。

その後、神仏習合となり真言宗智山派の玉泉寺が境内に開かれ、寶登山大権現を祀る社となった。

明治になり神仏分離令により「寶登神社」となり大正14年(1925)に現在の社名となった。

現在の御社殿は、江戸時代末から明治初頭に造り替えられ、本殿、幣殿、拝殿より成る権現造り(ごんげんづくり)である。欄間には、「二十四孝」を始め多くの彫刻が施されている。

【所在地】 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828番地  電話:0494-66-0042、0084

【祭神】 神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと) 神武天皇
      大山祇神(おおやまづみのかみ) 山の御神霊
      火産霊神(ほむすびのかみ) 火の御神霊 

【神門開門時間】 境内の参拝は自由

【神礼授与所】 8:30〜17:00 奥宮は 09:00〜15:00

【駐車場】  社務所前、相生松の前(約50台) 無料
          ロープウェイ駅下(約350台) 500円

二の鳥居から手水舎および拝殿を望む。

一の鳥居は国道140号線に隣接している。夏休みの土曜日の混雑で駐車できずに写真撮影は見送った。

二の鳥居を入って左手にある手水舎

階段で拝殿に至る

現在の社殿は弘化4年(1847)〜明治7(年1874)にかけて再建された権現造り。随所に見事な彫刻が施されている。

「寶登山神社」の扁額

授与所と御神木(檜)

授与所から渡り廊下を潜り本殿にでる。

本殿の右手にある古神札納所

授与所から御神木、拝殿、神楽殿を望む

神楽は神事において神に奉納するために奏される歌舞である。神楽の元々の形は鎮魂・魂振に伴う神遊びであったと考えられる。

神楽殿の右手奥から湧き出る水の神をお祀りしている「水神社」。常に清水が流れ出ている。

水神社の奥にある「祭器庫」

← 明治時代まで藤谷淵村の各所にあった8社の神社を遷座してお祀りした「藤谷淵神社」

→ 明治・大正・昭和の戦争で亡くなられた長瀞町出身者をお祀りする「招魂社」 春秋のお彼岸に慰霊祭が行われる。

腰掛岩

日本武尊の御神霊をお祀りした「日本武尊社」

奥宮祭ここの御神霊を神輿に乗せて奥宮まで行く。

日本武尊が山へと登る前に身を清めたとされる「玉の泉」(現在の水質はあまりよくないようである。)

学問の神様である菅原道真公をお祀りした「天満天神社」

大学受験から各種資格試験、更に小学校、幼稚園のお受験合格祈願の絵馬が多数納められている。

天満天神社の奥の橋を越えると倉稲魂命をお祀りした「寶玉稲荷神社」がある。

「寶玉稲荷神社」から右手に儀式殿を見ながら、階段を下る。

階段を降り切り左に少し登ると「護摩堂(高殿)」にでる。三間四方の堂内には不動明王が安置されている。

  「護摩堂(高殿)」の奥にある住職墓所

もとの道にかえり更に下ると玉泉寺の本堂に出る。

本堂の奥にある「参集殿」

  「参集殿」に続く「社務所」

玉泉寺の山門。「仁義」の扁額を掲げるところから「仁義門」と呼ばれる。

「万代池」  あまり綺麗な池ではないが、亀と鯉が競い会って元気一杯泳いでいた。

← 綱紀2600年を記念して昭和15年〜17年に作られた「記念館」

→ 昭和天皇の御成婚を奉祝して植えられた赤松と黒松で「相生の松」と呼ばれる。

長瀞町指定の自然記念物。

← 茶店

「ヤマブ宝登山売店」

 

ロープウェイで奥宮まで行こうと宝登山麓駅まで行ってみたが、夏休みの土曜日で混雑しているし、湿度のせいか山々霞んで視界が良くない様なのでまたの機会ということにした。