のうまくさまんだ ばざらだんかん

不動明王縁起

 当山は西光山高福寺と称し、六十八代後一條天皇の治安三年看そう法印の開基(平安中期:1023年)であり、本尊阿弥陀如来とともに不動明王を安置し、眞言宗豊山派に属している。
(総本山は奈良の長谷寺であり萬福寺にも末寺が11寺あった。)
 十三仏の内、不動明王は、新亡の初七日を司り、黄泉の境界において新亡の三業過罪の軽量を判許するご使命をお持ちになり、また一切の悪魔を降伏させ給い不動慈愛の心で衆生を済度守護してくださるのであ る。お顔はふん怒の相と申し、聞きわけのない者を導かれるための怒りの相を示されておられるが、内心は抜苦与楽と申し親が子をいつくしむように、慈愛心の強い心の持ち主で あられる。
 右手に持つ剣は降魔の利剣と申し破邪顕正の折伏を表わし、左手の縄は頑迷非道の者を縛って善心に改めさせる慈悲の縄である。火焔は迦楼羅欄といって人々の悩みや身の災難を焼き尽してくださる不退転の姿をお示しになり、衆生の苦しみを一身に背負われる威光を表わし大盤石を踏まれるお姿は、世の善悪の道理と人生悟道達観への道標であ る。  (巡拝帳より)

全景と迎える六地蔵尊

本 堂

明治15年の大火災により堂宇、秘蔵品等を焼失したが御本尊は焼失を免れた。

現在の堂宇は昭和6年に再建したものである。

 

明治23年に三光山慈眼坊無量寺自性院を合併し、同寺の不動明王を萬福寺の脇本尊として安置した。
これが秩父十三佛霊場の一つとなった。

境内内の石仏

美しい新緑の山々を背景とした
手入れの行きとどいた庭園